逆転の報徳

昭和36年夏 倉敷工業戦
野球部は昭和7年創部。その年(昭和36年)で創部30年目だった。その頃までに報徳は毎年県予選でかなりいい線までは行くようになっていたが甲子園の壁は厚く、昭和33年には初の決勝進出を果たすが姫路南高に0-4で敗れている。(当時は滝川高、育英高、明石高などが全盛期であった。) その夏は県尼崎高校を2-0で破り、悲願の甲子園出場を果たす。
大会3日目の第3試合1回表、マウンドに立ったのはエ-スの東純介ではなく控えのサウスポ-酒井発三夫(明大)であった。倉敷工もエ-スの森脇敏正が予選前に鎖骨を骨折した為、控えの永山勝利が登板した。
 試合は緊迫した投手戦となっったまま延長戦に突入した。延長11回、東の四球とエラ-で一死1,3塁のピンチ。沢井監督は4番の鎌田の敬遠を指示するが5番の松本にレフトオ-バ-の2塁打を放たれ0-2。さらにショ-トのフィルダ-チョイスとスクイズで0-4。ここで疲れの隠せない酒井に代わってエ-スの東がマウンドに上がるが倉敷工に傾いた試合の流れは止められず、計6点の大量点を奪われた。大観衆は「試合は決した」と誰もが思い、倉敷商の選手達は道具を片づけ始めていた。
11回の裏、沢井監督は先頭打者の4番奥野に変えて平塚正を代打に送る。その平塚がぼてぼてながらも内野安打。一死後6番の藤田が死球で1,2塁。「絶対に帰るぞ」二塁上で考えた平塚は7番の清井治三の浅いライト前安打で迷わず本塁に突入した。本塁上のクロスプレーは大きく回り込んで、きわどく生還。ベンチに戻ったら、仲間がぽつりと「1点取ってすーっとしたわ」と言ったそうだ。でもまだまだこの時は追いつくなんて考えられなかったという。続く吉村逸郎(大阪トヨペット)のファ-ストゴロの間に2点目。2死3塁となる。ここで倉敷工は永山をサ-ドに回し故障の森脇をリリ-フに送り出す。森脇は7番の高橋に四球を与える。さらに8番の貴田能典はレフト前タイムリ-で3点目の走者を迎え入れた。なおも二死1塁2塁。ここで倉敷工は急きょ永山の再登板となったが投手の東がレフト前にヒット、満塁になった。続く先頭打者、内藤善郎がセンタ-前ヒット!二人の走者を帰し一点差となった。三塁側アルプス席は「報徳!報徳!」の大合唱となり甲子園球場は騒然となった。(報徳学園の応援団の伝統的な応援に「拝み節」というのがある。敗色濃厚なとき これを唱えながら水を被ると逆転できるとされているがこの時から定着したそうである)
さて、打順は一巡、平塚がバッタ-ボックスに入った。狙ったカーブをジャストミートした打球はセンタ-前へ、二塁走者の東は本塁突入出来ず三塁で止まるが、センタ-からの返球を捕手の槌田が後逸。東が帰ってついに6-6の同点とする。
 12回の裏報徳は藤田がレフトヘ二塁打、清井のサ-ドゴロの間に三進、倉敷工は満塁策をとるが、貴田のライト前ヒットで試合に終止符をうった。
 試合終了後倉敷工の選手達は森脇を登板させた小沢監督に感謝の意を告げたという。
沢井監督は後に「若者の恐るべき力、闘志を初めて知った。こちらが生徒に教えられた大会だった」と述べている。この大会以降、報徳学園は「逆転の報徳」の異名をとるようになる。

昭和56年夏 早稲田実業戦
恐るべき底力。報徳が36年夏の「奇跡の大逆転」の再現をやってのけた。8回表を終わって得点は4-0。試合の流れは完全に早実に傾いていた。試合は中盤まで金村、荒木の息詰まるような投手戦。均衡は7回表に崩れた。この回早実は住吉の先制三塁打を含む4長短打にバントを絡ませて3点を先行。それまで1安打に抑えられていた金村を打ち込む。見事な集中攻撃だった。しかも8回には四球から二つのバントで加点。報徳とは対照的な、実にそつのない試合運びだった。
「正直言って8回、ノーヒットで4点目を取られたときは観念しました」と言う大谷主将。しかし、報徳ナインは入部当時、監督や先輩からいやというほど聞かされた昭和36年の「奇跡の大逆転」を忘れてはいなかった。
8回裏、報徳は東郷、高原の安打と大谷の二塁ゴロで1点を返し反撃への口火を切った。9回は無死から金村の二塁左内野安打、西原四球で一二塁。ここで岡部が初球を痛烈に三塁線を破って金村生還。なお二三塁と、一気に一打同点機をつかんだ。このあたり早実の荒木投手にははっきりと疲れが見え、場内は一転して報徳の逆転ムードが漂う。若狭三振の一死後、甲子園初打席の代打、チーム一小柄な浜中がどえらいことをやってのけた。荒木の初球。外角球を鋭く振り抜くと打球は三塁線を抜ける二塁打!西原、岡部が帰り、試合は4-4の振り出しに戻った。殊勲の選手・浜中は二塁ベース上でガッツポーズ!甲子園は大歓声に包まれた。続く一死二塁のサヨナラ機を逃した報徳だが、こうなると追うものの強みがでる。
フィナーレは延長10回裏の二死からやってきた。主砲金村が、早実・荒木の内角低めのシュートを引っ張って左翼線二塁打。金村のこの日3本目のヒットに報徳応援団は総立ち。サヨナラ劇の予感に、球場全体が異様なまでのどよめきを繰り返す。右打席に西原が入った。横浜戦で打順を5番から7番に下げられ、ふだんは感情をあまり表面に出さない男が、練習で目の色を変えて打ち込んでいた。この日は元の5番。第一打席で左前打したのをはじめ3出塁。「絶対に打ってみせる」という気迫がマウンド上の荒木を脅かす。このとき北原監督はベンチで主将の大谷に「あいつはきっとヒットを打つ」と言ったそうである。サヨナラ打はワンストライク後の2球目だった。荒木の手を放れた球は肩口から入るカーブ。西原が見逃すはずがない。銀色のバットが鋭く回転した瞬間、白球は必死に追う早実の芳賀功左翼手の左をあっと言う間に抜け、緑の芝生の上を転々とした。金村が三塁を回ったところで、早くもガッツポーズ。ベスト8進出を決めるホームベースをしっかりと踏んだ。1塁を回ったところで金村の生還を見届けた西原が、はじけるような笑顔でかけ戻る。ベンチからは大谷が高原が石田が永 田が、腹の底からの叫びと共に飛び出す。対照的にうなだれてマウンドを降りる荒木。声もない早実ナイン。サヨナラ劇はいつも非情なまでに明暗を描き出す。
早実は「勝った」と思い報徳は敗戦を覚悟した試合だった。完全な早実の流れをグイと引き戻したのは9回の裏の先頭打者金村の執念の一打だった。「正直言って負けたと思った。だけど笑って球場を去れるよう後1点取ろうと9回はみんなで気合いを入れた。必死で一塁へ駆け込んだ」と金村。
20年前のあの大逆転も「あと1点」からだった。報徳の名を全国的にした「一球入魂無他念」の精神、勝利へのあくなき執念が脈々と引き継がれていたことを、報徳ナインは5万5千人の大観衆の前で実証した。